歴史と文化
常夜灯と道標(豊浜)
その昔豊浜町は、伊予街道・金毘羅街道・まんだ道・観音寺街道の分岐点となっていました。豊浜を通る伊予街道には、金毘羅宮大門から一里ごとに丁石( 道標)が建てられており、⑤の薬師堂前には「こんぴら大門より六里」と掘られた丁石が建てられています。これらの丁石は愛媛県の八幡浜市まで続いており、当時の人々の旅人への思いやりと、信仰心の深さを感じとることができます。
➊大西甘味堂前
正面(いよ道)、右面(金毘羅大権現)、左面(正八幡宮・下にくわんおんじ道)、裏面(文政十年(一八二七)丁亥十二月吉日)
➋大西甘味堂前
正面(いよ道)、右面(す久川口…すぐ港という意味)、左面(久わんおんじ道)、裏面(明治八年(一八七五)亥十月吉日立)
➌豊浜
総合体育館横
➍豊浜
総合体育館横
正面(あ八道)、左面(左ことひら道)、裏面(明治三十四年(一九〇一)春三月)
➎薬師堂横
左柱…正面(左琴弾山、かはくち)、右面(右こんひら道)、左面(安政六(一八五九)未菊月吉日立之
正面(右こんひら・左くわんおんし道)、右面(金毘羅大権現)左(正八幡宮)、裏面(中筋講中)右柱…正面(こんひら大門より六里 与列松山浮穴群東方 大内屋伊太郎)、右面(世話人□□□□勇左衛門)
➏豊浜
八幡神社前
正面(右こんひら・左くわんおんし道)、右面(金毘羅大権現)左(正八幡宮)、裏面(中筋講中)
➐関谷橋横
常夜灯の元にある、右柱(関谷橋)、左柱(金毘羅六里半)
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